放翁陸游(令和6年6月1日)

 

さつき(長岡禅塾)

 

この一年ほどの間、折をみて中国宋時代の詩人、

黄山谷、蘇東坡、陸游の作品に目を通してきた。

その中でとくに親しみを覚えたのが陸游だったので、

この詩人について書いておくことにする。

 

陸游(1125-1209)は南宋の人である。

齢五十二のときに放翁と号した。

 

 門前の剥啄(はくたく) 誰か相覓(もと)む

(門前のコツコツという音は 誰が訪ねてきたのか)

 賀すなり 我の今年放翁と号するを

(私が今年みずから放翁と号したのを祝いにきたのだ)

 

南宋は当時、女真族の国家金の侵攻を被って、

常に厳しい戦時状態におかれていた。

一高級官吏として陸游は、

自国のそうした有り様に人一倍義憤を感じる愛国者であった。

 

「放翁」とは世事(陸游の場合にはとくに、侵攻された自国の事)を

放擲した翁といった意味であろうが、

陸游がわざわざそのように号したその背景には、自国への無関心とは逆に、

侵略国金への反攻が自分の思い通りにいっていない苛立ちが感じられる。

 

晩年の陸游は故郷である山陰(浙江省紹興市)にもどり、

相変わらず憂国の情をいだきつつ、

百姓をしながら極貧の生活を送った。

 

 寒に氈(せん)の坐する無く 甑(こしき)に塵を生ず

(寒中に毛織の座布団もなく 釜には塵がつもっている)

 此の老 年来 乃ち爾(しか)く貧なり

(この老人はずっと以前から このように貧乏なのだ)

 

陸游の詩を愛国的「悲憤」の詩と、

農村生活に題材を得た「閑適」の詩に区別するとすれば、

今の私は後者に共感を覚えることが多い。

 

 一杯の齏(なます)の餺飥(はくたく)

(一杯のシッポクうどん)

 老子 腹 膨朜(ほうこう)

(じいさまはそれで腹がポンポン)

 坐して茅簷(ぼうえん)の日を擁す

(ぼろ家の軒端でひなたぼっこ)

 山茶 未だ烹るを用いず

(お茶の用意はまだいいぞ)

 

この詩などには閑適の気分がよくでているが、

なかには閑適の気分を詠いながら

その背後に憂国の情がかくされている場合もある。

陸游はどこまでも愛国の人であったのである。

 

参考書:一海知義編『陸游詩選』(岩波文庫)。

 

 

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