続々・放翁陸游(令和6年6月15日)

 

アジサイ(長岡禅塾)

 

以前、吉川幸次郎『中国詩史』(ちくま学芸文庫)を読んで

いろいろと勉強になった。

その中で陸游についても書かれているので、

それに依拠しつつ、陸游についてさらに書きたしておきたい。

 

すでに触れたことであるが、

陸游はその人生の途上において、二つの大きな挫折を経験した。

一つは北伐(敵国金への反攻)の主張が通らなかったことにおける、

二つは母の命令による愛する妻との離婚による、挫折である。

 

挫折の経験は人を感傷的にさせ、

悲哀の情を深めるであろう。

しかし陸游は悲哀を不可避のこととして受け入れた。

 

春愁 茫々として 天地を塞ぐ

(春の愁いは 果てしもなく天地をおおいつくし)

我が行 未だ到らざるに 愁い先ず至る

(次の春を迎えぬうちに 春の愁いが先に訪れて来るのが わが人生の旅)

満眼 雲の如く 忽ち復た生じ

(見渡すかぎり雲のように突然わき起り)

人を尋ぬること 瘧(おこり)に似て 何に由りてか避けん

(まるで瘧のように人を襲うのを どうして避けられようか)

 

死の前年、八十四歳の作に詠う。

 

少時 愁いと喚ぶは 底物(なにもの)と作(な)すとせしに

(若い頃は愁いとはどんなものかと思っていたが)

老境 方(まさ)に知る 世に愁い有りと

(年とってはじめて世の中には愁いというものがあるのを知った)

世間を忘れ尽くすとも 愁いは故(もと)より在り

(世間のことをすっかり忘れ去ったとしても 愁いは元通りのこる)

身と和(とも)に忘却して 始めて応(まさ)に休むべし

(わが身ともども忘却のかなたに消え去って はじめて愁いはなくなるのだ)

 

けれども陸游は悲哀の情に押し流されるというのではなかった。

彼にはそのことに終始しない広角的な視座が備わっていた。

それはたゆまぬ読書の力に養われたと考えられる。

陸游は希な読書家であった。

五十三歳のときの詩の一部を掲げてみる。

 

灯前の目力 昔に非ずと雖(いえど)も

(ともし火を前にして 視力は昔のままというわけにゆかぬけれど)

猶お課す 蠅頭二万言

(なお日課として 蠅のあたまのような小さな文字二万語を読むことにしている)

 

最後にもう一点、陸游は陶淵明以来の田園詩人であったということを

付けくわえておかなければならない。

陸游は晩年、故郷に帰ってから一田夫となり、

その生活のなかで感じたことを詩にした。

したがって、その詩は牧歌的というのではなく、

農村の日常生活に根ざした生活詩とでも言うべきものであった。

 

野人 我の門を出ずること稀なることを知り

(土地の人は 私がまれにしか外出せぬことを知っていて)

男は鉏耰(しょゆう)を輟(や)め 女は機(はた)より下る

(男は鋤の手を休め 女は織機から降りて迎えてくれる)

茈菇(しこ)を掘り得て 炊(かし)ぎて正に熟せしめ

(クワイを掘って ちょうど煮えたのをさし出し)

一杯 苦(ねんご)ろに勧めて 寒に帰るを護る

(心をこめて一杯の酒をすすめ 寒い中を帰るのを守ってくれる)

 

上は七十五歳のときの作、次は八十四歳に作詩されたものである。

 

大布もて袍(ほう)を縫えば穏やかに

(あらい木綿で上着を縫うと 体にしっくりあい)

乾薪もて火を起こせば紅(あか)し

(乾いた薪で火をおこすと 赤く燃え上がる)

薄才 畎畝(けんぽ)に施し 

(才能はないが畑仕事に打ちこみ )

朴学 児童に教う 

地味な学問を村の子どもたちに教えている)

羊は高く桟を為(つく)るを要す

(羊には高い柵を作る必要があり)

鶏は当(まさ)に細かに籠を織るべし

(鶏には細かい目の籠を作ってやらねばならない)

農家は自ずから楽しむに堪えたり

(農家にはそれなりの楽しみがたっぷりとある)

是れ王公に傲(おご)るにあらず

(王公貴族に威張るわけではないけれども)

 

参考書:吉川幸次郎『中国詩史』(高橋和己編、ちくま学芸文庫)

   『陸游詩選』(一海知義編、岩波文庫)

 

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