孝慈室語録-13
禅堂前提の紅葉(長岡禅塾)
坐禅すると罪の意識が深くなる
坐禅して罪障が消えるというのも妄想です。
何故かというと僧堂などで、
今日あの臨済禅の大物の大慧普覚禅師の発願文を読むということは
どういうことですか。
もし坐禅をして心が澄んでくるのなら、
発願文を読む必要はない筈です。(『上』70頁)
*大慧禅師発願文
「唯願くは某甲、・・・無魔無障、邪路に向わず、
直に正道に入って、煩悩消滅し、智慧増長し、
頓に大事を悟って、仏の慧命を続ぎ、
諸の衆生を度して、仏祖の恩に報ぜんことを。
次に冀くは某甲、・・・此の身を捨て了って、
速やかに仏土に生じ、面のあたりに諸仏に見え、
正覚の記を受け、法界に分身して、
遍く衆生を度せんことを、・・・」