孝慈室語録-15
禅塾近辺の紅葉
利他行としての坐禅
坐禅をしていると、
自分が衆生のために
坐禅していたんだということが、
後で判ってくるんです。
たとえば、
私がお寺で坐禅をしていると
私の母は私のことを思って、
自分でもひきしまった生活をするんですね。
すると私の坐禅は
私の為ではなく母自身のためだということになるんです。
そこに願があると思う。(『上』76頁)
坐禅は一切衆生を背負ってするんですね。(『上』73頁)
Follow me!