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森本省念老師

大雲好日日記ー220 「即身説法」

即身説法(令和5年9月20日)   ひまわり(長岡禅塾近辺)     山本玄峰老師(1866-1961)の提唱を聞きに来ていた外国人に、   山本玄峰老師   ある人:「 …

大雲好日日記-217 「喫飯来(きっぱんらい)」

喫飯来(きっぱんらい)(令和5年9月9日)   「喫飯来」(孝慈室 森本老師筆)     『碧巌録』に金牛和尚(生没不詳、唐代)が昼食時になると、 いつも米櫃をもって僧堂前にあらわれ、踊りな …

大雅窟遺風(六)

  大雅窟遺風(六)     <錯々>   森本老師は茶目っ気がおありで、私に半頭大雅などという名前をつけて面白がっておられた。 師のつけた名前であるから、やむを得ないが、それでも …

大雅窟遺風(五)

  大雅窟遺風(五)   <無一物> 当時は、スッカラカンの貧乏で、寝る布団もなく、机をのせてその重みで夜をすごしたが、とても快眠などできる筈がない。 社会学をやっていた学生が可哀想におもってか、布団 …

大雅窟遺風(四)

  大雅窟遺風(四)   <行脚>   私は、二十一歳のときに、私の一番好きな、おかきと水盃をして、すべてを捨てて僧堂に入ったんです。なぜ、すべてを捨てるかというと、何かが有るから問題がある …

大雅窟遺風(三)

  大雅窟遺風(三)       <一転語> 学校でついに、ニワトリとタマゴとどちらが先かを教えてもらえなかった。森本老師に御目にかかって、はじめてコケコッコーが先だと教えてもらっ …

大雅窟遺風(二)

  大雅窟遺風(二)   <善知識> 現代の知性を通して仏教を行じ、そこから活きた仏教の説かれることを期待していた私にとって、眼の覚めるような、そして私の精神生活を決定的に覆してしまった一人の禅僧があ …

浅井義宣老師報恩碑建立

浅井義宣老師報恩碑建立     浅井老師報恩碑 (撮影 柴田明蘭) [横の小僧像(細川護熙氏作)は浅井老師を模しています]   令和4年11月13日 長岡禅塾第三世塾長浅井義宣老師の報恩碑建 …

大雲好日日記-194 「地獄一定」

地獄一定(令和4年10月26日)   芙蓉(長岡禅塾近辺)   作家の五木寛之さんが『歎異抄』に出てくる 「地獄は一定」という言葉について、 これを死後のこととせずに、 今この現実のことと解したいと述 …

大雲好日日記-187 「長岡禅塾の宗風 禅と念仏(15)」

長岡禅塾の宗風 禅と念仏(15) (令和4年8月17日)   ムクゲ(長岡禅塾近辺)   これまで「禅と念仏」というテーマで、 白隠、法燈国師、良寛、一休、正三、黙雷、 鈴木大拙、西田幾多郎、朝比奈宗 …

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