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禅とは何か

大雲好日日記-209 「日常禅のすすめ 日常禅(その序)」

日常禅のすすめ 日常禅(その序) (令和5年2月22日)   梅花(長岡禅塾近辺)   一般に坐禅が禅であると考えられがちですが、 坐禅はまだ禅ではありません。   坐禅は三昧(禅定、無心) …

大雲好日日記-208 「臨済と睦州 日常禅(その四)」

臨済と睦州 日常禅(その四)(令和5年2月15日)   庭園の雪景色(長岡禅塾)   臨済が日常の何気ない行為こそが禅なのだと気づくに際して、 同じ道場の首座が果たした役割を見逃すことはできません。 …

大雲好日日記-206 「仏法、多子なし 日常禅(その三)」

仏法、多子なし 日常禅(その三)(令和5年2月1日)   節分の幟(長岡天満宮)   日常禅を宣揚したのは臨済でした。 臨済は法系上、馬祖の曾孫にあたります。   師である黄檗のもとをいった …

大雲好日日記-203 「日常禅とは何か 日常禅(その二)」

日常禅とは何か 日常禅(その二)(令和5年1月18日)   「莫妄想」(初代塾長 梅谷香洲老師) *「莫妄想(まくもうぞう)」は「妄想すること莫れ」と読み、 わたしたちに三昧の生活をすすめる標語となっています。 …

大雲好日日記-201 「新年の仏法 日常禅(その一)」

新年の仏法 日常禅(その一)(令和5年1月4日)   正月の仏壇(長岡禅塾)     新年の仏法といっても、 何か特別な仏法があるわけではない。   例年のごとく、 人に会えば「明 …

法語掲示板-24 「随処に主となる」

随処に主となる   インド雑貨商店(長岡京市内)   実に自己は自分の主(あるじ)である。 自己は自分の帰趨(よるべ)である。 故に自分をととのえよ。 ――商人が良い馬を訓練するように。   …

法語掲示板-23 「人世無常」

人世無常   あおさぎ(長岡禅塾近辺)   世の中を泡沫(うたかた)のごとしと見よ。 世の中はかげろうのごとしと見よ。 世の中をこのように観ずる人は、 死王もかれを見ることがない。 『真理のことば』( …

法語掲示板-22 「ものみな心から成る」「三界唯心萬法唯識」

ものみな心から成る  三界唯心萬法唯識   ハッサク(長岡禅塾近辺)   ものごとは心にもとづき、 心を主とし、 心によってつくり出される。   もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、 …

大雲好日日記-194 「地獄一定」

地獄一定(令和4年10月26日)   芙蓉(長岡禅塾近辺)   作家の五木寛之さんが『歎異抄』に出てくる 「地獄は一定」という言葉について、 これを死後のこととせずに、 今この現実のことと解したいと述 …

大雲好日日記-191 「宗教と生活」

宗教と生活(令和4年9月28日)   彼岸花(長岡禅塾)   愚直にも猫の額に彼岸花(白戸和夫)   禅堂の庭の片隅にも彼岸花が咲いた。 秋分の頃になると決まって紅葉の大樹の根もとに花を咲か …

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