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長岡禅塾物語 第三話「夢中問答(前編)」

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前回は禅塾第一世梅谷香洲(こうじゅう)老師について書いたから、今回は第二世について書く順序であろう。

第二世は森本省念(もりもとしょうねん)老師である。

が、どうも書きづらい。

それは第一に、残念ながら筆者は老師にお目通りをしたことがなかったうえに、まだ生き証人もおられるからである。

そんなことを考えながら毎日うんうん唸っているうちに、ある日、隠寮で老師と対話している夢をみた。

 

(某月某日 ある寒い冬の午後 禅塾の隠寮にて。

老師、火鉢に手をかざしながら、背を丸めておられる。

鼻水が一筋。魯のごとく愚のごとし。)

 

――「今度、新命老師としてこちらに参りました大雲でございます。何卒よろしくお願いいたします。」

老師「はぁ、さよかぁ。」(と、そっけない返事)

 

――「老師のお噂はかねがねお伺いしておりますが、本日改めていろいろお話をお伺いさせていただきたく存じます。」

老師「そんなことして何なりまんねん。なんにもなりまへんでぇ。」(第二矢も痛烈!)

 

(大阪の本屋の出である老師は、普段も大阪商人の使っていた大阪弁で接化されたと聞く。

飾らぬ老師の一面がそんなところにも出ていよう。

自己の丸出しである。

そう言えば、唐宋時代の語録がその当時の俗語で記されていることもうなずける。

ついでながら、イスラム教の教典『コーラン』にも商人言葉が頻出するようであるが、それは教祖ムハンマド(マホメット)がメッカの商人の出であったからだということを読んだことがある。

そういえば、禅語にも「商量」「定盤之星」といった商いに関連した言葉が紛れ込んでいるのを思いだす。)

 

(「なんにもなりまへんでぇ」と言われて引っ込んでいるわけには行かない。

どこかに話の糸口を見いださねばならない。

老師と拙僧との間に何の接点もないようであるが、捜せばあるものである。

老師が大阪の北野中学の卒業生であること。

知恩院華頂高等女学校に勤務された経験をお持ちのこと。

第三高等学校英文科を出られながら英会話はからっきしダメであったということ。

そういうところに拙僧の経歴と似たところがあり、そこから話が切り出せないわけではない。

別けても老師が大阪の在家の出である点は拙僧と全く同じで、近しさを感じる。

こうしたところから話を始めてみようかとも考えたが、そんな世俗のことはどうでもよいことだと思いなおして止めにした。

夢の中で自分の頭が話の突破口を求めてぐるぐる回っている。

「これで終わるわけには行かないぞ。」

すると「窮すれば変ず」で、話は短絡的に次のように展開していった。)

 

―― 「早速でございますが、老師が長岡禅塾においでになった経緯についてお伺いしたいのですが。」

老師「それはなぁ、わしがちょうど伊深におったとき、梅谷香洲老師が遷化されて、それでわしに禅塾の後をやってほしいと、使者が来られて言われたんや。」

 

(今度は話がうまく滑り出しそうである。)

 

――「それでお引き受けを。」

老師「まぁ、そうやなぁ。僧堂の師家になる道もなかったわけではなかったんやけど、僧堂の師家やと第一、特定の宗門に縛られて自由にものが言えんようになりますわなぁ。それ困りまんねん。それから、わし、坊主学(注、法式一般)苦手でんねん。それで禅塾やったら学生はん相手やし、そんなもん気にせんでええさかい。」

 

――「それを聞いて私なんかも安心するんですが、大燈国師の遺誡に「誦経諷咒、長坐不臥、一食卯斎、六時行道、直饒恁麼(たといいんも)にし去ると雖(いえど)も、仏祖不伝の妙道を以て、胸間に掛在せずんば、忽ち因果を撥無し、真風地に墜つ」とあります。老師のおっしゃる坊主学はもちろんできるに越したことありませんが、そのこと自体は禅そのものとは直接関係はありませんね。昨今、どうもその辺が修行僧たちに勘違いされているような気がいたします。」

老師「わし、ああいうこと、大嫌いですねん。禅僧はもっと法の参究に真摯でなかったらあきまへん。」

 

――「国師もやはり遺誡で「只須(すべから)く十二時中、無理会(むりえ)の処に向って、究め来り究め去るべし」とおっしゃっています。僧堂などでは何度もこの遺誡を拝読するわけですが、多くの場合、残念ながら空念仏に終っているように思います。われわれはもっと法理を明らめることに専心せんといけませんねぇ。ところで先ほど伊深というお話がでましたが、どうして伊深に行かれていたんでしょうか。」

老師「当時、京阪神はどこも米軍の空襲が激しゅうて、年老いた母のこともあって、どこかに疎開せなあかんかったんや。それで疎開地を探していたら、伊深の正眼寺の近くに空き寺(放光寺)があるということで、それでそこに住することになったというわけや。あそこやったら正眼寺もあって棠林下の室内も見させてもらえるかも知れんし。」

 

――「そこから正眼僧堂の梶浦逸外老師のもとに通参された。」

老師「そうや。」

 

――「老師はそのとき御年五十六歳、しかもすでに橋本独山、山崎大耕両老師の下で備前下の公案をひと通り終えられていたわけですね。それがなんでまた……。」(百煉の黄金再び爐に入る)

老師「本当のことをいっそう深く知ろうと思おたら、反対のことを一度やってみる。わし学生の頃、西田哲学が勉強したくて、西田先生にそのことを言うたら、先生、それではスピノザをやりなさいと言うんや。で、わし、スピノザではありません、先生の哲学をやりたいんですと言うと、先生、だからスピノザの哲学(注、西田哲学に似て非なる哲学)をやりなさいと言われたなぁ……。(注、老師は京都帝国大学の頃より、日本を代表する哲学者西田幾多郎に傾倒していた。)それと同じこっちゃぁ。他の公案体系をやってみたら、こっちのものが一層はっきりしてきまっせぇ。」

 

――「なるほど。」

老師「それからもうひとつ、これは大事なことやけど、ひとつの公案体系を終っただけやと、どうしてもそいつをいつまでも握りしめていたくなるわなぁ。そういう意味で、あんたがさっき引いた大燈国師の「無理会の処に向って究め来り、究め去るべし」の最後の「究め去る」ということは、実は「究め来る」ことより難しいことや。」

 

――「禅ではまた「得たら捨て、得たら捨て」とも言うわけですが、われわれは得たものを、苦労して得たものならよりいっそう、そいつを何時までも握りしめていたくなるもんなんですね。」

老師「そうや、執着いうやっちゃぁ。どんな有難いことでも、これという決ったものを握りしめるようになったらあかんのや。わしの母親もよく、バカの一つ覚えのように、「孝治はん(注、老師の俗名)、これというものあったらあきまへんのでしたなぁ」と言うてましたわ。これ、わしの教えたことでっけどもな。」

 

――「いま老師のおっしゃったことで私に思い当たることがございます。わたし、建仁僧堂で難透の公案を中心に卓州下の室内を少し見せていただいたことがあるのですが、見解の出しかたが備前下と悉く異なっているのに驚きました。隠山下は直截・峻厳、卓州下は綿密・温厚といったようなことを特色とするとは一般的にいわれていることですが、実地に参じてみてその意味がはっきり理解できました。

それからもうひとつの点については、私は最初つまずきかけたことがあります。私はそれまで何となく真理は一つでなければならないと考えていて、ですから、公案に関しても、同一の公案に対しては真正の見解はひとつでなければならいと。ところが卓州下の室内を経験してみると、そうなっていない。同じひとつの公案に対して、隠山下と卓州下では見解が異なっている。これは一体どういうことか、このことについて最初、随分と考え悩みました。」

老師「それはあんたの勝手な思い込みやなぁ。これが禅やというもんがあったら、それはもう禅とちがいまっせ。」

 

――「そうだったことが私にもやがて分かるようになりました。かりに隠山下の見解だけを唯一絶対だと思いなすようなことになれば、それは一種のドグマ化であり、情意的には法執であって、排他的な一神教の立場ともあまり変わらなくなってしまいます。

結局、「一つ」の意味が問題なんですね。「永遠の真理」などと申しましても、その場合に「永遠」とは、平面的・無時間的な意味ではなく、垂直的・瞬間的な意味なんですね。このことは頭ではとっくに分かっていたつもりだったんですが……。

私は卓州下の室内を少し見せていただいたおかげで、それまで抱いていた自分の独断が破られ、救われた感じがしております。これでやっと隠山下の呪縛からも解放されたわけです。

いまでは、無心に吹く風にも、南から吹く微風もあれば北から吹く強風もある、そのように吹く特定の風の流れを、まあ宗「派」と言うんであって、もともと硬直性のものではないから、そのことで格別気張る必要もなかったんですね。」

「それから……」

(と、私が言いかけようとした時、祖渓さん(注、森本老師にお仕えされていた庵主さん)がお茶をもってこられた。

老師は甘いものがお好きである。私の買ってきた姫路の銘菓玉椿も一緒にでてきた。ここで小休止となる。)

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