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長岡禅塾物語 第七話「柴庵閑話」

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あまり偉そうなことを言えた義理ではないけれども、老師方の提唱はとかく眠気を誘うものと大体相場は決まっている。

が、それに反して浅井義宣老師の提唱はとにかく面白い。

今回はその一端を、主として老師の著作の中からいくつかの文章(出典は煩雑なので省略した)を抜粋して示してみたい。

浅井老師の提唱の面白さは、まず般若の智に訴えてくるという意味で面白いのであるが、ここではそのようなものの中でもレベルの高いものはなるべく敬遠するようにして、一般的にも馴染みやすい内容のものを選ぶようにしてみた。

それぞれの話の表題は見やすくするため私が勝手につけたものである。

また、紙数の関係や読みやすくするために、字句の省略、段落付けを施したところがある。

米印以下の文章は私の覚書のようなものであるから、読者はそれを飛ばして本文のみを楽しんでいただいて結構である。

 

「柴庵(さいあん)」とは老師が居住されている建物の名である。そこはかつて柴置場であった由。

 

〇「知りまっしぇん」

多くの人は、母から生まれた、と思うであろうが、その人は迷える人。

塾に出入りする、九州生れの おばさんに「あんないい息子さんをどうして産んだんですか」「知らん間にできたけん、知りまっしぇん」。

ご自分では気がつかないが、禅的。

※ 「不識」の達磨さんもびっくり。「知らず最も親し」。

 

〇カミの話

聖心女子大でマザーをしておられた森本老師の姪ごさんが来訪され、

「おじさん、今度来る時、毛生え薬持ってきてあげる」

「本のことは気になるが、毛のことは毛程も気にならん」と。

「でも一緒に歩く のが恥ずかしいわ」。

なるほどカソリックでは髪(神)がなければ教義が成りたたないが、禅では一本 の毛があっても教義が成りたたないから面白い。

※ 禅はいう、「兎の毛一本もございません」と。(うそをつけ! もうはやしとるわい)。

 

〇 Half head Tiger

森本老師は茶目っ気がおありで、私に半頭(はんとう)大雅(たいが)などと言う名前をつけて面白がっておられた。

師のつけた名前であるから、やむを得ないが、それでも変な名前だなとは思っていたが、あるときアメリカの学生が、Half head Tiger ですか、そういわれて、はじめて随分怖い恐ろしい名前だなと気づくようになった。

しかし我々は自分の頭がどんな形なのか、全体を同時に見ることはできない。

それで視覚的には半分しか見えないから、実は私だけではなく、みんな半頭なのではないだろうか、そう思うと、師のつけた名前というものは疎かにできないものだと思うようになった。

※ 名前のことで言えば、一時浅井老師は私をつかまえては、「あんたの名字は『どこからき、た、の、 (「什麼處來(いずれのところよりかきたる)」)』というふうに最初から禅的でいいけれど、私のは「浅い」で、深みがなくて いかん」としきりに冗談をおっしゃっていたことがあった。けれども私の名字についてもそう有難い名だとばかりは言えないのであって、倅がまだ小学校の低学年であったころ、折しも細川たかしの「北酒場」が大流行していて、倅はみんなが「北、の、 酒場通りには」と歌って囃し立てるのだと言って、よくベソをかきつつ帰ってきたものであった。しかし名前など、所詮はレッテルのようなものだから、そんなものに振り回されているものはみな間違っているのである。「三人亀を證して鼈(べつ)となす」。

 

〇陰徳のすすめ

よく何か慈善事業をする人は、「私は慈善事業をしています。私はこういうことをしました」ってことを言う。

しかし、そういうことを言ったらもう全部だめになるんですね。

それで私はボランティアというのは大嫌いなんです。

「黙ってやりなさい」というのです。

※ 「それを言っちゃおしまいよ」と言ったのは寅さんだったっけ。「好肉上に瘡(きず)を剜(えぐ)る」。

 

〇道秀の直心

赤尾というところに道秀という行者がいました。

蓮如上人のところに来て弟子入りを頼んだんです。

「この煩悩のままで救われる道を教えてください」

「よし、わかった。その代りわしの言うことを聞くか」

「ハイッ、聞きます」

京都にいた蓮如上人が滋賀の琵琶湖の方を指さして、「あの琵琶湖の水を全部くみ出してこい」。

道秀が「そんな馬鹿なことはできませんよ」と言ったかと思ったら、そうじゃない。

「かしこまりました」ってクルッと尻まくりして杓を持って飛んで行ったという。

それで蓮如は「おーい、もうそれでいい。それだけの覚悟があったら弟子にしてやる」と言ったということです。

だから宗教の世界というのは、本当に自己を投げ出して、つまり、行の中に飛び込んで行けるか行けないか、これが分かれ目ですね。

「あんなことしたって」というふうに考えたら駄目なんですね。

道秀のように「ハイッ」と空になる。

その時、琵琶湖の水は「空っぽ」になるんです。

※ これと似たような話が旧約聖書(創世記22・1~19)に次のごとく記されている。神はアブラハムの信仰心を試みんとしてその最愛の独り子イサクを献供するよう命じたのであるが、彼はその命令に一点の疑いもはさむことなく素直に従った結果、まさに刀をもってわが子をほふろうとしたその瞬間、アブラハムの信仰心の真なることを見届けた神は献供の中止を呼びかけたというのである。禅的にその話を解釈すれば、アブラハムが神に「ハイッ」と返事をしたその時に、献供の儀式はすでに完了していたのである。

 

〇「南無阿弥陀仏」

念仏を唱える時には利益があるかないかなど考えず、ただ一生懸命に唱える。

しかしそれだけですと、馬鹿の一つ覚えで、何でも「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。

例えば、恋人と一緒にデートします。それからコーヒーショップに寄ります。コーヒーをいただきます。「南無阿弥陀仏」。

これではいっぺんに興が覚めますね。

そうしますと、恋人と会ったときは恋人と一つなわけですから、そしたらやっぱり、「君、コーヒー? 僕は紅茶」、こういうふうに言って、お互いに紅茶を飲んだりコーヒーを飲むこと、それが「南無阿弥陀仏」の行になるわけですね。

その他に、「南無阿弥陀仏」があるというのは駄目なんですね。

※ これはあくまでも禅宗の立場からする念仏の理解であるとも言われ得よう。大学の恩師武内義範先生も、喫茶店でウェイトレスがコーヒーを持って来たときに南無阿弥陀仏と言うことの可笑しさを問題にされているが、それはどこまでも真宗人として現代の世俗化の状況下で念仏とどう向き合うかという、そういう真摯な問いとなっている(『親鸞と現代』中公新書、昭和49年、43頁以下)。

 

〇「違いまんな」

森本老師が大学に来られた最初の日、いきなり黒板にノギ・マレスケと大書され、「諸君、これどう読みますか」と。

びっくりしたのは私ばかりではなかったでしょう。

大学生を捉まえてこれが最初の質問かと皆んな怪訝に思ったのも当り前です。

もちろん学生はノギ・マレスケとそのまま読みますと、「違いまんな」。

老師の答えは我々の度肝をぬくものでした。

これが禅僧の「法窟爪牙、奪命神符」で命とりであります。

「では先生はどうお読みになりますか」。

「ノギ・マレスケ」。老師は成りきって、そうお読みになりました。

※ 森本老師のこうしたやり方が、実は「庭前柏樹」(『無門関』)における趙州、さらに遡って『中論』の所説と同じであることを浅井老師が解説されている(『悟りの構造』春秋社、1986年、173頁)。

 

〇勇猛心

臨済宗の宗風を表すのに、次のような句があります。

「風吹けども動ぜず天辺の月 / 雪壓(お)せども摧 (くだ()け難し澗底(かんてい)の松」(どんなに風が吹いても、月は動かない。どんなに雪が降っても、谷底の松が押し潰されることはない)。

しかし、若い時はこういう気持でもいいのですが、修行していくうちに、決してそういうふうになれそうもない、という自覚が出てきます。

心をきれいにすればするほど、自分の醜さが分ってきます。

自分が醜くないと思っている人は、汚いから分らないのです。

われわれに、うまいことをしてやろう、という心が微塵もないのかというと、全くきれいな人というのはありえないはずです。

そこでもう一つの禅宗、曹洞宗の宗風を表すのに、次のような句があります。

「我に大力量有り / 風吹かば便(すなわ)ち倒る」(自分には大変な勇猛心がある。その勇猛心とはどういうものかというと、風が吹けば倒れてしまう)。

大変な勇猛心があるけれども、それは風吹けども動ぜずではなく、風が吹けばパタッと倒れてしまうというのです。

これがすなわち不動の世界であるというわけですから、私にはこちらの方がひとつ練れているような気がします。

※ 臨済宗にも趙州の宗風のように曹洞宗に似た立場がないわけではない。「気張れば屁のでる恥ずかしさよ」(「臭い、臭い!」)。

 

〇アノの話

アノの話は職業柄露骨に言えないので、アノの話といっておく。

アノ話って何だ、などといっているうちがいいので、内容は大抵下らないものである。

もっとも下らないといっても、人間にとってなにが大事かといえば食欲とアレである。

そうである限り下らないでは済まされない問題でもある。

だが、あまり積極的にそこだけが露骨にとりあげられると、欲望なにするものぞ、首陽山に餓死するとも、誓って周粟は食わず、というように節操をたてたくなるような気分になるものである。

つまり、否定できないが、だからといってそのまま肯定もできないという状態である。

進むことも、退くことも、立ちどまることもできないという状態である。

そしてこの話の結論はここを通り抜けることに眼目があるのである。

否定もできないが、肯定もできないということを別の表現で説明すると、手を突きだして、「手を手と呼んでもいかん」「手を手と呼ばなくてもいかん」。

さあ、どう呼ぶか、ということと基本的には同じ問題である。

しかし普通には、否定も肯定も間違いであるということには気がつかない。

そして否定か肯定かのどちらかをさ迷うのである。

ではどうしたらよいもんだろうか。

この問題の解決こそが本当の一大事なのである。

※ 「関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず」とも言う。「からまれてからまれていて薫風に」(大雅)。なお、この難問題の解決の秘薬を手に入れたい御仁は、どうか柴庵主人の「チンチン考」『無相の風光』(143~170頁)を参照あれ。

 

〇伊深での話

これは私がまだ、伊深におった頃の話なんですが、当時の伊深には戦争中ということで、いろんな方が疎開してきておられました。

そんな中に大学の先生もおられたので、時にはそういう方をお招きして、僧堂の役位のものや近隣の塔頭の和尚などが集まってお話を承っていました。

そんな降り、ある大学の教授をお招きして一杯やりながらお話を聞いていた時のことです。

何かの話のついでに、その先生が酒の入った土瓶を持ち上げて、「ギリシア哲学ではこれは形相と質料でできていると言いますが、禅ではこれをどう言いますか」と尋ねられたのです。

すると、そこにいた和尚のひとりが何を思ってか、「日常生活というものは大切なものでごわすわい」と応えたのです。

正直、私はそのとき大変恥ずかしく思いました。

「ばっかじゃなかろうか」とね。

その和尚の答えが全然哲学的でなかったからですよ。

その時、禅坊主のレベルの低さがいやになりました。

けれどもいま考えてみますとね、あの和尚がもし知ってああいったのなら、大したものだと思うんです。

※ 禅は理屈を嫌う。残念ながら、教授は理屈をこねられた。それでは折角の酒もまずくなる。これに対して、和尚の答にはそういう理屈を蹴飛ばして、具体的現実(饗宴の場)に即そうとする趣きが感じられる。であるから、もし和尚が自覚的にあのように言ったとするなら、よく禅に通じた大和尚ということになるのである。和尚に代って、山僧ならこう言おう、「まぁ、もう一杯いかがですか」。

 

ここに示されたような断片集では食い足りなく感じる人はどうか老師の著書に直接当っていただければと思う。なかでも『無相の風光』(半頭大雅著 春秋社刊、1993三年)を私はおすすめする。

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