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長岡禅塾物語 第八話「禅塾略列伝」

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長岡禅塾は昭和14(1939)年の開塾以来、70年を越える歴史の中で、各界で活躍する300名近くの卒塾生(禅塾での生活経験者)を輩出してきた。

卒塾生の進路については、当塾への届け出あるいは連絡を義務づけているわけではないので、退塾した後の進路が判明している者の数は全体の三分の一程度にしかすぎないが、現時点で把握できるその内訳は次の通りである。

寺院住職31名、大学教員21名、学校教員18名、自営業8名、医師3名、弁護士2名、会社員23名。

このうち、筆者が直接知る人の数は当然のことながらごく限られたものであるが、その中から、さらに個人的に印象に残っている人たちのことをここで記しておきたい。

 

まず、寺院住職になられた方のうち、老師にまでなられた方が幾人かおられる。

古い順に、梶谷宗忍老師(相国寺、昭和14年~24年在塾)

糸原圓應老師(平林寺、昭和28年~32年在塾)

浅井義宣老師(長岡禅塾、昭和34年~47年在塾、以降塾長)

篠原大雄老師(永源寺、昭和34年~39年在塾)

道前慈明老師(永源寺、昭和42年~43年在塾)

田中寛洲老師(光雲寺、南禅寺、昭和48年~51年在塾)

田中芳洲老師(相国寺、昭和52年~53年在塾)である。

これら老師方のうちもっとも筆者の思い出に残っている老師と言えば、浅井義宣老師を除けば、梶谷宗忍老師である。

 

梶谷老師は初め建仁僧堂に掛搭されたが、体調を悪くされて、昭和14年長岡禅塾の設立とともに入塾された。

当時禅塾の師家は「剃刀香洲」と言われた初代塾長の梅谷香洲老師であり、香洲老師が遷化されるまでのほぼ十年の間、その下で厳しい修行を積まれた。

その後、長岡禅塾の師家は森本省念老師に代るが、昭和26年に相国僧堂に掛搭されるまでの間、梶谷老師は森本老師にも参禅されていた。

森本老師の指導方法は梅谷老師にもまして辛辣きわまりないものであったらしく、そのため老師は人目のつかないところで、一人隠れて涙されていたこともあったようである。

 

実はこの止々庵梶谷宗忍老師こそ私が最初に参禅させていただいた老師であったのである。

梶谷老師を私に紹介してくださったのは片岡仁志先生だった。

先生は相国寺の山崎大耕老師から印可を受けられていて、その関係で梶谷老師とは昵懇の間柄であった。

先生の後任として京都の短大に勤務させていただいていた私は、ある日かねてから抱いていた参禅の希望を申し上げると、さっそく止々庵老師に連絡してくださり、そのおかげで間もなく相国僧堂に通参できるようになったのである。

 

しかし、当時の私は禅の何であるかがまったく理解できておらず、したがって老師から慈愛あふれる御指導をいただいていたにもかかわらず、公案の方はさっぱりだめであった。

僧堂には主に接心の時を中心に三、四年通ったが、だんだん足が遠のくようになり、ついにそのままとなってしまった。

だがこの苦い挫折の経験は、つぎに浅井義宣老師に参禅するようになった時に、私の中で「黄沙百戦金甲を穿つも、楼蘭を破らずんば終に還らじ」といったような気概を生むバネとなったことは確かなようだ。

 

次に大学の教員になられた方々のことについて少し触れてみよう。

これも多少とも筆者の存じ上げている人に限って名前を挙げさせていただく。

古い順に言えば、稲葉稔さん(神戸商科大学、昭和32年~35年在塾、森本老師から大変期待されていたと聞く)

神保全孝さん(姫路独協大学、昭和38年~40年在塾)

平木康平さん(大阪府立大学、昭和39年~44年在塾)

今義博さん(山梨大学、昭和48年~49年在塾)

大塚健洋さん(姫路独協大学、昭和58年~60年在塾、学長にも就任された)

最近では、荻村慎一郎君(立教大学、平成7年~9年在塾)

もっとも新しいところでは、杉本耕一君(愛媛大学、平成9年~25年在塾)

 

ちょっと変わったところでは、堀宗源さん(G.Victor Sogen Hori, マギル大学、昭和60年~平成2年在塾)がおられる。

源さん――僧堂式にこれまでそうお呼びしてきたので、ここでもそう呼ばせていただくことにする――は、カナダ国籍であるが、アメリカのスタンフォード大学で哲学博士の学位を取得した後、来日して十年近く大徳僧堂で修行されてから長岡禅塾に来られたのである。

 

源さんは私が禅塾に通参を許された当初の直日であったから、その点で印象に残っているのであるが、それ以上に私には思い出深いことがある。

それは禅塾のある長岡京市に引っ越してくる前後のことだったと思うが、阪急長岡天神の駅を降りて街を歩いていると、はるか前方に紺衣の袖に春風を膨らませて歩く一人の雲水の姿を見つけたのである。

その時どうしてだか分らなかったが、この町に住んでみたいなぁと思ったのである。

(今から考えると、私には雲水に対する憧れの気持がどこかに潜んでいたようである)。

それからしばらくして、今度は駅のプラットフォームの椅子に腰かけて、前かがみになって一生懸命に書物に目を落としている雲水の姿を見かけた。あとでそれが、禅塾の源さんであったことが分かったのであるが、当時まだ在家であった私の眼に、その頃の源さんの姿は実に眩しく見えたものだった。

 

残念ながら源さんは途中で母国に帰られたが、彼の地において再び大学での研究生活に戻られ、禅に関する英文著作を次々に出版されている。

それらの中でも禅林句集の英訳本である”ZEN SAND “(ハワイ大学出版会、2003年) は、欧米人にとってはもちろんのこと、彼らを指導する際のわれわれにとっても大変有用な書物になっている。

 

アメリカやカナダの大学で源さんから禅のことを教えられ、修行のためにわざわざ長岡禅塾にやってきた外国籍の人が何人かいる。

それらの人たちはみな真面目な人たちばかりであるが、なかでもフィルさん(Phil Jordan, 平成五年~七年在塾)は格別である。

 

フィルさんはアメリカのハーバード大大学院在学中に源さんから坐禅の手ほどきを受けて日本の禅に興味をもち来日した。

そして浅井老師との出会いを通じて、禅こそ我が進むべき道だと悟り、禅塾で足掛3年のあいだ老師から直々に公案をもらい毎日の参禅を欠かさなかった。

禅塾の開静は5時であるが、フィルさんは何時も人より早く4時に起きて、禅堂周りの敷き瓦上で坐禅をしていたという話を、私は浅井老師から何度も聞いたことがある。

フィルさんは現在、アメリカのある有名高校の先生をしているが、その高校の広い校庭の森のなかに「禅堂塾」を開いて在校生とともに禅の修行に勤しむだけでなく、何年かに一度の割合で、夏休みを利用して5~7名の生徒をともなって禅塾の大接心に参加している。

その中から第二のフィルさんの生まれてくることをわれわれは楽しみにしている。

 

卒塾生の中には、まだまだここで取り上げてみたい方がおられるのであるが、紙数に制限があるので残念ながら割愛させていただくことにする。

 

最後に、外から熱心に参禅されていた大学教授が何人かおられたので、番外編として記させていただこう。

それらの方々は山田邦男さん(大阪府立大学)

飛鷹節さん(京都大学)

上村雄彦さん(大阪府立大学)である。

なかでも山田さんは久参の居士で、浅井老師との共著もある(『悟りの構造』春秋社、昭和61年、『論語と禅』春秋社、昭和63年)。

私を長岡禅塾に紹介してくださったのも山田さんだった。

かつて、山田さん、飛鷹さん、それに私の三人で、お互いに時間のあいた午後の時間を利用して、浅井老師に参禅を聞いていただいていた頃のことなど、今は懐かしく思い出される。

 

ところで、これまで長岡禅塾に在籍したもののうち、修行の上において横綱格ということになれば、誰がそれに相応しいであろうか。

私がもし挙げるとすれば、やはり浅井義宣老師ではないかと思うのであるが、どうもそうではなさそうなのである。

なぜかと言えば、当の浅井老師ご自身が自分より上のもののいることを認めておられるからである。

 

では、越格のそのものは誰か。

それは、もと野良でいつの間にか禅塾に住みつくようになった、未虎(みこ 在塾期間不詳)と名づけられた猫である。

さてこの猫の何が浅井老師をして一目置かせるのであろうか。

それは、禅機の点においてである。

老師の話によれば、未虎は森本省念老師が外出先から帰ってこられると、それこそ「如撃石火、似閃電光」、すばやく老師を出迎えにやって来るのであった。

そのはたらきは、例えば剣の達人のそれにも比せられる。

大森曹玄老師は自分の剣道の先生が、そのまた先生の足駄の鼻緒が雪道の途中で切れてドッと倒れそうになったその瞬時、間髪を入れず師匠の身体を支えるとともに、すばやく自分の下駄を師の足元に差し込んでみせたのであるが、その時のはたらきこそは剣道の至極であるとして後に免許皆伝を与えられたという話をされている(『剣と禅』春秋社、1983年、18頁)。

 

これに比べると――と、浅井老師は面白おかしく話されるのである。

ある時、老師が祖渓さん(森本老師にお仕えされていた庵主さん)と一緒に足元の悪い坂道を歩いておられた折のこと、祖渓さんの履物の緒が切れて前のめりになって倒れられた。

その時、老師は祖渓さんの身体を支えることもできなければ、自分の草履をさっと差し入れることもできなかったとのこと。

それで自分は未虎にも劣るとおっしゃるのである。

 

浅井義宣老師に一目置かせる未虎は確かに大した奴である。

だが、名前の示す通り(「未だ虎ならず」)、その猫にして未徹在底である。

そうなると、況や我々に於いてをや、である。

 

堪対暮雲帰未合  対するに堪えたり 暮雲の帰って未だ合せざるに

遠山無限碧層層  遠山限りなき 碧層層

 

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