あなたは次のような問いに苦しんだことはないだろうか。
「私はなぜ存在するのか?」
「本当の私とは何か?」
「私の人生の意味は何だろうか?」
これらの問いは、あなたの根源から出てくる。
あなたの存在の根拠がなぞになっているからこそ浮かぶ問いである。
禅を志すとは、その根源的な問いを追究すること、
つまり、「己事究明(こじきゅうめい)」をすることに他ならない。
しかも、己事を追究することは、机上の空論ではない。
生活そのものと一体となって究明する道なのである。
寝ること、起きること、食べること、トイレに行くこと、あらゆる日常生活を送ること…
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」が真理と一体とならねばならぬ。
それこそが禅の修行である。
大学生という「己事究明」には絶好の時期に、
長岡禅塾で禅の修行をしつつ学生生活を送ることは、
この上ない貴重な財産となることだろう。