花語らず
花は黙って咲き、黙って散って行く。
そうして再び枝に帰らない。
けれども、その一瞬一処に、
この世のすべてを託している。
一輪の花の声であり、
一枝の花の真である。
永遠にほろびぬ生命のよろこびが、
悔なくそこに輝いている。
柴山全慶老師
*人間ほど文句を弄したがる生き物はこの世に存在しません。現に私がこうして、柴山老師の詩について今何かを言おうとしていることが正にその証拠です。
ですので、ここは皆さんと一緒に、自分たちの生き方に重ねるようにして、黙って老師の詩をじっくり味わうことにしましょう。
*禅の言葉に「無語、低頭、帰庵」とあります。いい言葉だと思います。その真意は「黙って」「頭を低くし」、そして「私たちがそこから生まれた静寂な無(心)の世界に帰る」ということです。
ところが私たちの場合は、「我(が)」が邪魔して、すぐに何かを言いたがり、頭を引っ込めることができず、そのため却って心の落ち着き場所を失ってしまいがちです。
あらゆる問題の所在はこの「我」にあります。逆に「我」を殺すことさえできれば、即刻「仏国土、すなわち極楽浄土」が約束されるのです。実験してみてください。
*その点で私たちは沈黙し自足した「自然」の生き方にもっと学ぶべきだと思います。
*柴山全慶老師:1894(明治27)年~1974(昭和49)年。河野霧海老師の法嗣。花園大学教授、大谷大学教授。南禅僧堂師家、南禅寺派管長。米国コルゲート大学等で禅学を講ず。
禅塾の椿
(柴山全慶老師は椿の花がお好きだったそうです)