仏法、多子なし 日常禅(その三)(令和5年2月1日)
節分の幟(長岡天満宮)
日常禅を宣揚したのは臨済でした。
臨済は法系上、馬祖の曾孫にあたります。
師である黄檗のもとをいったん離れ、
大愚のもとで修行していた臨済はある時、
大愚から自らの分別心を鋭く指摘されて、
思わず大悟したのでした。
そして、次のように発しました。
「もともと黄檗の仏法などというものは
大して難しいものではないのだ(元来、黄檗の仏法、多子なし)」。
この言葉を簡単に日常禅の立場から解釈すれば、
「禅などというものは何ら難しいものではない」となるでしょう。
このとき臨済はその証拠として、
大愚の脇腹を「何の造作もなく」三度つつき、それで許されました。
この場合に重要なことは臨済の行為が、
「日常だれでも何気なしに」行うようなものであったことです。
だから悟りの証拠が必ずしも臨済と同じである必要はありません。
計らわない日常的な行為であることが重要です。
このように本来の禅に覚醒した臨済は、
後に多くの弟子たち前にして堂々と宣言するのでした。
「仏法というものはただ日常のままでありさえすればよいのだ。
大小便をしたり、衣服を着たり飯を食べたり、疲れたらよこになる」。
そして、さらにこう付け加えます。
「禅の真実を知らない愚かな人はそんな話を聞いたら笑うであろうが、
よく知った人ならそこが分かるのである」(以上、『臨済録』)。
こうして臨済は日常禅が禅そのものであることを宣言するに至ったのですが、
しかしそこに至る道は、
必ずしも簡単なことでなかったことを
私たちは銘記しておくべきです。