大雅窟遺風五)

 

<無一物>

当時は、スッカラカンの貧乏で、寝る布団もなく、机をのせてその重みで夜をすごしたが、とても快眠などできる筈がない。

社会学をやっていた学生が可哀想におもってか、布団を二枚もっているので、一枚だけ貸してやるといってくれたことを今でも忘れない。

(『無相の風光』)

 

これは大雅窟が昭和34年に長岡禅塾に入塾された当初の話である。入塾の経緯についてこう述べられている。

「(相国僧堂での修行中に)病気になりまして二、三年、闘病生活をしましたから、もう現役で僧堂生活をするのが耐えられなくなったんですね。それでその当時の師家であった大津櫪堂さんの紹介で長岡禅塾に来たわけです」(『禅 森本省念の世界』)。

当時の塾長は森本老師であったから、花園臨済学院以来の再会ということになる。余談になるが、大津礫堂老師はもし大雅窟が病身でなければ、自分の後継者にしたいという考えを持っておられたようだ。

 

 

 

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