大雅窟遺風(十四)
<開悟>
最初の間はだれでも悟って、そして一切の迷いがなくなってしまう、ということを目的とするわけです。
そして、それをやっていきますと、段々段々、そういうもののないことがわかってくる。
ほんとうに「悟れない」というふうに思っている人はですね。
実はほんとうに悟っている人なんです。(『対話禅』)
「禅修行を初めて最初の二、三年はスカッーとするんですが、そのうちスカッーとすればするほど、その底にもっとドロドロしたものがあるということに気がつくんです。」(『悟りの構造』)
大雅窟は「悟れないと悟る」とか「悟らぬ悟り」ということもおっしゃっています。こうした考え方は鈴木正三(1579-1655)の考え方に似ているように思えます。人生の一大事をめぐって八十歳まで厳しい修行をつづけた正三でしたが、それでも「まだすっきりしない」と言い、しかし、他方では、「確かに根本になる種は取ったぞ」と述べているからです。