水木しげる『ほんまにオレはアホやろか』
(令和6年3月2日)
枝垂れ梅(長岡禅塾近辺)
この本は漫画家・水木しげるの自叙伝である。
そこには戦中・戦後を生き抜いた野太い男の一生がつづられている。
「オレはアホか」という自問は言うまでもなく反語である。
「オレはアホではない」「アホはむしろお前たちではないか」。
こういう申し立てがその自叙伝の行間から聞こえてくる。
例えば、「あとがき」でこんなことを言っている。
「子どもの頃から、一律に学校という、奇妙なものの中に入れられて、成績がどうのこうの、点数がどうのこうのといわれ、そんな、しょうもないことに、胸をドキドキさせられるんではたまったものではない」。
実際、水木は美術学校に入学するために
幾つかの学校を受験するのだが、
数学がからきしできなかったのですべて失敗する。
普通なら、そこで何らかの対策を講ずるであろう。
水木はそういうことをあまりしないのである。
だからことごとく玉砕するほかはない。
水木の渡世のしかたは万事かくのごとくであった。
太平洋戦争に一兵卒として従軍した時も、
(彼はこの戦争で左手を失っている)、
戦後、駆け出しのマンガ家としても、
自作を買ってくれる出版社を探して駆けずり回った時も、
そうであった。
しかし水木は失敗してもくよくよしないのである。
それ以上に自分の好きな、絵を描く道を進みたかったのだ。
「落第したってくよくよすることはない。わが道を熱心に進めばいつかは、神様が花をもたせてくれる。神様が花をもたせてくれなくても、それはそれなり、また救いがあるものだ。人がどうこうしたからとか、スタートにおくれたからといって、クヨクヨする必要はない」。
だから失敗してもジメジメしたところがない。
彼は天性の楽天家であった。
けれども努力をしないものに
神が微笑まないことも彼は知っていた。
上掲の文章中には「わが道を<熱心に>進めば」と言ってあった。
また、「自分の好きなことをやるにしても、やはり、なまけていてはダメで、なんでも、ねばり強く、努力することが必要であろう」とも。
とにかく水木しげるの生き方は、破天荒と言えば破天荒、
天衣無縫と言えば天衣無縫、
とても既成の枠にはおさまらないのである。
その様はまさに彼の画いた“妖怪”そのもののようだった。