ふるさと考(令和6年7月6日)

 

桔梗(長岡禅塾)

 

故郷(ふるさと)は三つの層に分けて考えることができる。

第一の層は自分の生まれ育った土地という意味の故郷、

いわゆる「生まれ故郷」である。

 

第二の層は自分を精神的に育ててくれた場所という意味での故郷である。

この層は第一層と重なることもあるが、そうでない場合も多い。

この意味の故郷を「心の故郷」と呼ぶことにする。

卒塾生のなかに長岡禅塾をそんな場所と思ってくれている人がいる。

 

卒塾生の横山聖治君がかつて禅塾を「私に還れる場所」と表現してくれたのは、

そういう意味であったと思う(2023/12/23投稿)。

今回フィルさん(58歳)がはるばるアメリカからやってきて、

6月の1か月ほどの間、若い塾生と毎日修行に励んで

帰っていったのも、彼にとって禅塾が精神的故郷であったからに違いない。

 

第一の意味にしろ、第二の意味にしろ、

故郷のある人は幸せである。

なぜなら、そこは懐かしい場所であるばかりでなく、

心の和む場所、心の落ち着く場所でもあるからだ。

 

しかし、「生まれ故郷」や「心の故郷」はまだ、

究極的な安心を約束してくれる場所ではない。

究極的な安心を約束してくれる場所は、

故郷の第三の層のうちに隠されている。

 

それはそこから自分が生まれ来て、

やがてそこへと死んで行くところという意味での故郷である。

それを仮に「生命(いのち)の故郷」と呼ぶとすれば、

死とは「生命(いのち)の故郷」への帰還なのである。

禅修行はそんなことを覚知させてくれる。

 

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