西田哲学の先細り?(令和6年8月3日)
百日紅(長岡禅塾)
過日、つぎのような新聞記事に目がとまった。(2024/6/13、朝日朝刊)
京都大から「西田哲学が先細りの危機にある」と相談された
ある篤志家が3億円の寄付を即決したというのである。
この記事の内容についていろいろ解せないところがある。
第一に、「西田哲学の先細り」とは如何なる現象をいうのか。
「西田哲学」そのものは「先細り」も「先太り」もしないはずである。
それは「西田哲学」に対する側の問題である。
その先鋒は研究者であるだろう。
研究者が西田哲学という岩盤でできた鉱脈を掘り進み、
そこに何か新しい鉱石を発見し、それを錬磨したときにはじめて、
「西田哲学」は輝きを取りもどすことができるのではないか。
しかし、そのために3億という巨額の金額が必要であろうか。
これが第二の疑問である。
大学の研究者が研究費・教育費の不足に苦労している
現状は理解しているつもりである。
しかし、巨額な金額を積めば哲学研究が進むというものではないだろう。
「西田哲学の先細り」問題の解決の道は
第一の疑問のところで言及した、西田哲学を研究する側に
存しているのではないかと、私は考えている。