最後の仕事(令和6年8月31日)
桔梗(長岡禅塾)
この7月に先師浅井宜宣老師の言行録『大雅窟遺風』ができあがった。
中味はともかく、制作に当たってくれた禅文化研究所のご尽力を得て、
思っていた以上にすっきりした体裁に仕上がり喜んでいる。
当初は老師の7回忌にあわせて縁者の方々にお配りするつもりであったのが、
途中、帯状疱疹に罹ってしまい予定より遅れたことは遺憾であったけれども。
その本ができあがって、しばらく放心の体であったが、
すぐに新たな仕事のことが頭に浮かんできた。
かねてより誰か第二世森本老師の禅について書いてくれる人が、
現われないかと考えていた。
それというのも森本老師の禅はいわゆる禅の枠に収まりきらないスケールの大きい、
その点で特異な禅であり、ぜひ後世に伝えるべき禅であると考えていたからである。
ところがこの仕事を引き受けてくれるような、適当な人がすぐには思いつかない。
それなら自分がやってみようかと、不遜なことを考えだしたのである。
今は大体の構想もまとまり、
タイトルを『禅と浄土教 ― 森本省念の禅』と決めている。
内容は、総論として論文「森本省念老師の禅」、「孝慈室語録」、
「青年時代の日記抄」「禅と浄土教 ー 禅宗史から」から構成される予定である。
私はこの仕事で先人の魂の足跡を追求して行くことになるのだが、
その場合、現在にいたるまでの私自身の魂の軌跡を重ね合わせながら、
考察して行くことになると思う。
したがってこの仕事は、背後に私の心象を映したようなものになるだろう。
恐らくこれが私の最後の大仕事になろう。
どこまでやれるか分からないが、やれるところまでやるしかない。
この日記には「孝慈室語録」を連載して行く予定である。