凡聖同居(令和7年2月8日)
つばき(長岡禅塾)
禅の世界に「一箇半箇」という言葉がある。
1.5人ということで、ごく少人数の意である。
老師になる資格を得ることのできる人の希であることを
言ったりする場合に使用される。
そういうことであれば、
禅なんていうものは大衆に用のないものではないか、
という声が聞こえてきそうである。
このことについて山田無文老師が面白いことを言っておられる。
「悟ることができてもできなくても、この道がすきでないといかん。あるいは、分かっても分からんでも、この和尚についていきたいっていう感情が大衆を引っぱっていくんで、みんなが悟るなんてことはありえないことだが、(大衆は)それはそれで満足してますよね。そこでその指導者をつくることが大切で、大衆に信頼される指導者が出てくることによって、大衆は救われる。それでいいとおもいますね」(『禅と念仏』)。
道場や禅会など好んで禅の道を志そうする人たちの集まり(サンガ)がある。
そこには指導者のもと、修行の進んだ人もいれば、そうでない人もいる。
しかし、指導者もふくめ全員が禅修行に励んでいるという意味では、
それは同じ方向をめざす人たちの乗った合同船のようなものである。
船長は船員が無事目的地に到着できるようにしっかり舵取りをし、
船員は船長を信頼して各自自分のなすべきことをなす。
そういう違いはあるが、それ以外そこには何の差別もない。
そうした平等の状態を、禅の言葉で「凡聖同居 龍蛇混雑」と言う。
サンガは本来そういう場所でなくてはならないと思う。