低頭(令和7年3月15日)
梅花(長岡公園)
実るほど頭を垂れる稲穂かな
「偉い人ほど頭を低くする」ことを意味する諺である。
そんなことは言われなくても分っていると思われるかも知れないが、
その実、実践できている人は意外に少ない。
地位が上がると皆がその人にかしずくものだから、
知らず識らずのうちに自分がたいそう偉くなったように錯覚する。
しかし地位が上がることと人物として偉いということは別である。
地位が上がって偉そうにしている人のことを誰も偉いとは思うまい。
禅の大切な修行の一つに「低頭(ていとう)」がある。
どこまでも頭を下げてゆく行である。
われわれには我(が)というものがあって、
どうしてもその我が頭をもたげてくる。
禅修行ではその頭をもたげてきた我を
徹底的に殺して行こうとする。
そして、そうすることを通して、
本来の「無我」に還そうとするのである。
わが長岡禅塾の第二世森本省念老師の書かれたものを読んでいると、
しばしば、「頭が下がります」という言葉が出てくる。
省念老師は当時も名のよく知られた第一級の禅僧であったが、
少しも偉ぶることなく長岡禅塾に韜晦(とうかい)して、
自分より優れた人がいれば、
すすんで頭を下げて教えをこわれた。
そのような人を本当に偉(い)人というのである。
*韜晦=自分の才能・地位・身分・行為などをつつみかくすこと。
梅花(長岡公園)