法を知るものは畏る(令和7年4月5日)

 

枝垂れ桜(長岡禅塾)

 

長岡禅塾の正門前の通りは

長岡天満宮の参道になっていて

門を出て左に少し行くと鳥居が立っている。

 

注意して見ていると

時々、鳥居の前で天満宮の神殿の方に向かって、

恭しく一礼している人の姿を見かけることがある。

それは畏敬の念をあらわしているように見える。

 

では、長岡禅塾の場合はどうであろうか。

残念ながら入出の際に一礼する人の姿を見かけたことがない。

以前はそうではなかった。

武術の世界でも門の前で一礼することが礼儀になっているのに。

 

末法という言葉がある。

釈尊の教えだけが残り、

悟りを得ることが不可能となった時代を意味する。

 

だが現状を考えると末法どころではない。

教えも完全に滅びた<法滅>をむかえているのではないか。

何とか法の盛んな禅塾をとりもどしたいものである。

 

注)「畏る」(おそる) 「畏まる」(かしこまる)

 

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