坐禅と参禅の違いについて(令和7年4月23日)
「八重桜(サトザクラ)」(長岡禅塾近辺)
参禅とは禅道場で坐を組むこと(坐禅のこと)だと
理解している人がいるが、それは正しくない。
参禅(禅に参ずる)とは坐禅をしながら、
さらに、正師から直接禅の奥義について指導を受けることの意である。
だから、正確に言えば、坐禅と参禅とは違うのである。
そして、その違いは人々の所作の違いとして現れてくる。
ただ坐禅だけで済ませている人と、
参禅もしている人では
日常での振る舞い方が異なってくるのである。
このことは、しかし、詮ないことであるのだが
――なぜなら参禅を体験していないのだから――
坐禅だけで済ませている人には見えてこない。
それどころか、さらにいっそう厄介なことは、
当人は参禅したことがないのにもかかわらず、
坐禅したことがあるというただそのことだけで、
自分は禅を多少心得ていると勘違いしている場合である。
トンデモナイことである。
禅ではそういう輩を「自救不了(じぐふりょう)」
つまり、「自分自身の始末すらできぬ奴じゃわい」と言って
問題にしないのである。
日記250「低頭」のところでも述べておいたことであるが、
私たちはもっと謙虚であるべきことを学ばなければならない。