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大雅窟遺風

大雅窟遺風(十二)

  大雅窟遺風(十二)       <無為(二)> 『論語』では、「無為にして治まる者は、其れ舜なるか」といわれていて、 その「無為」の用(はたら)きが礼であり孝弟(こうてい)なん …

大雅窟遺風(十一)

  大雅窟遺風(十一)                 <無為(一)> 孔子は言います。 「無為にして治まる者は、これ舜なるか」。 …

大雅窟遺風(十)

  大雅窟遺風(十)     <一所懸命> 論語の中で、「身を殺して、もって仁をなす」(衛霊公 九)と言われています。ですから、論語もその都度、その都度のことに、全身、全霊を打ち込んでいく( …

大雅窟遺風(九)

  大雅窟遺風(九)     <担雪埋井> 仏教の修行というのは無駄骨を折るということですよ。一カ月英語早わかりというように、合理的にスーッといこうとみんな考えるんですが、これは駄目なんです …

大雅窟遺風(八)

  大雅窟遺風(八)     <照顧脚下> 「照顧脚下」の心構えとは、「己自身の本質に徹底せよ」ということです。自分自身を無にして悟りへの静寂の境地である「禅定」に入らなければ、何をやっても …

大雅窟遺風(七)

  大雅窟遺風(七)   <大疑>   禅では、「悟りとは何ですか」と問われたら、「悩みなさい」と答えます。「大疑は大悟」と禅では言います。疑問を持てば、あれこれ悩みますが、その先に悟りがあ …

大雅窟遺風(六)

  大雅窟遺風(六)     <錯々>   森本老師は茶目っ気がおありで、私に半頭大雅などという名前をつけて面白がっておられた。 師のつけた名前であるから、やむを得ないが、それでも …

大雅窟遺風(五)

  大雅窟遺風(五)   <無一物> 当時は、スッカラカンの貧乏で、寝る布団もなく、机をのせてその重みで夜をすごしたが、とても快眠などできる筈がない。 社会学をやっていた学生が可哀想におもってか、布団 …

大雅窟遺風(四)

  大雅窟遺風(四)   <行脚>   私は、二十一歳のときに、私の一番好きな、おかきと水盃をして、すべてを捨てて僧堂に入ったんです。なぜ、すべてを捨てるかというと、何かが有るから問題がある …

大雅窟遺風(三)

  大雅窟遺風(三)       <一転語> 学校でついに、ニワトリとタマゴとどちらが先かを教えてもらえなかった。森本老師に御目にかかって、はじめてコケコッコーが先だと教えてもらっ …

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