無常について(9/26)
いつの年であったか、
京大での講義の折り、ひとりの学生が、
「仏教の世界では無常ということをいうが、
禅ではその点はどうなっているのか」
というような趣旨の質問をしてくれた。
わたしの応えはこうであった。――
この世界はたしかに無常です。
禅でもこのことは否定しません。
しかし、禅はこのことを前向き(積極的)にとらえています。
平家物語の「諸行無常」に代表されるように、
所謂「無常」の語には、どこか「はかなさ」「虚しさ」、「悲しさ」の響きがある。
この点で、後向き(消極的)である。
禅は、この世は「無常」だから、一刻も無駄にすることなく、
一生懸命に生きろ、と教えています。
ところで、仏教の「諸行無常」とは、
「あらゆる現象は変化してやまない」ということである。
鴨長明の方丈記、冒頭の一節は、
この「諸行無常」を、もう少し丁寧に説明している。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、云々。”
世界の現象も、このように、常に古いものが死に、
新しいものと入れ替わりつつ、全体としてそれ自身を維持している。
(生物学者の福岡伸一は、消滅と誕生のこの同時現象を
「動的平衡」と呼んでいる)。
ともかく、諸行無常は、
①世界現象であり、その内実は、
②生(創造)と死(消滅)との同時現象なのである。
しかも、
③「物我一如」として、
内(我)と外(我以外の物)との同時現象でもあるのである。
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