「君子は財を愛す」(2018/10/11)
岩井勝次郎翁像(長岡禅塾創設者・双日株式会社所蔵)
岩井勝次郎と岩井商店・岩井産業、長岡禅塾と最勝会については
下記サイトをご覧ください。
昨日は東京に出かけてきました。
最勝会のために講話を頼まれたからです。
最勝会とは長岡禅塾の創設者岩井勝次郎がはじめた
企業9社(本HP上の協賛会社一覧を参照)の集まりです。
題を「君子は財を愛す」としました。
中国宋代の洞山暁聡禅師の言葉ですが、
禅宗の坊さんの言句には、余程の注意が必要です。
聖人君子たるもの、財など愛さないのではないか?
一般には、そう受け取られていると思います。
たしかに「愛さない」のです。
が、その「愛さない」は、「愛する」に対する「愛さない」ではありません。
そうではなく、むしろ徹底的に「愛する」、徹底「愛する」ことによって、
「愛する」ことを忘れ、そうして「愛する」ことから離れる、
だから結果として、「愛してはない」ことと同じことになる。
「君子は財を愛する」の「愛する」は、
そのように具合に理会しなければなりません。
「愛して愛してない」「愛さずして愛している」、
こうしたことは、無心であることで初めて可能になります。
実は、「君子は財を愛す」の文は、その後に、
「これを取るに道をもってする」とつづきます。
それでは「道」とは何か。「平常心(びょうじょうしん)これ道」、
このような問答が禅のテキストのなかに出てきます。
「平常心」とは、「普段の当り前の心」という意味ですから、
「余計なことは考えない」「無の心」ということになります。
ですから、前文「君子は財を愛す」と、
後文「これを取るに道をもってする」は、
「無心」の一語によって貫かれていることがわかります。
「無心」は禅の要です。