大雅窟遺風(一)

 

<生縁>

私が生れたのはお寺でしたが、物心ついたころは在家におりました。それとは知らず、人の家に遊びに行くつもりでお寺へ行くと、本当は生家に当たるわけですから、私の家族はヒヤヒヤしておりました。兄と姉がおりましたが、二人とも養子で、私とは血のつながりは全くありませんでした。父と呼んでいたのは、私の義理の姉の婿で、祖父と呼んでいたのが、私の本当の父親でした。(『対話禅』)

 

 

 

大雅窟浅井義宣老師は戦国時代の武将浅井長政の末裔である。その一族は織田信長によって全滅させられたことになっているが、実は子弟の一人が僧侶となってその危機をうまく逃れ、生きのびた。その後、その一統は尾張地方で薬売りなどをしながら家系を保った。大雅窟は幼少期を名古屋の親戚の家にあずけられて過ごされた。

大雅窟の出自は大変複雑である。しかし老師はそのことを意に介しておられなかった。「われわれは時間、空間を離れて生まれてきている。そこが生命の根源」であると悟っておられたからである。

 

大雅窟の略歴は以下の通りである。

大正14(1925)年に生まれ、7歳で栃木県の禅寺に入る。

昭和19(1944)年、花園臨済学院卒。在院中、森本省念老師の講義を聴く。

昭和21(1946)年に正眼僧堂に掛搭。その後。龍沢僧堂、相国僧堂に転錫。

昭和34(1959)年に長岡禅塾入塾。長岡禅塾第二世森本省念老師に参禅。

昭和47(1972)年、森本省念老師に嗣法。長岡禅塾第三世塾長に就任。

平成28(2016)年、遷化。

 

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