大雅窟遺風(四)
<行脚>
私は、二十一歳のときに、私の一番好きな、おかきと水盃をして、すべてを捨てて僧堂に入ったんです。なぜ、すべてを捨てるかというと、何かが有るから問題がある。何も無ければ問題の起こりようがないでしょう。だから、すべてのものをみんな捨てて行脚に出たわけです。(『対話禅』)
「行脚(あんぎゃ)」とは、明師をもとめて全国各地をめぐり歩くことである。
大雅窟は花園臨済学院(現花園大学)を卒業して、最初に岐阜県伊深の正眼寺に掛搭された。正眼寺を選ばれたのは、そこが日本で修行のもっとも厳しい道場の一つであったからである。そういうところに禅修行に向われる大雅窟の意気込みを感じとることができる。
峻烈、苛酷な修行と厳正な規律の僧堂を「鬼叢林」と呼ぶが、正眼寺は日本三大鬼叢林に一つで、他は九州・久留米の梅林寺、京都・嵐山の天龍寺である。 正眼寺での修行の様子は『禅が教える「接心」のすすめ』(132頁以下)でも述べられている。
実は上掲の文には以下の言葉が書き添えられている。
「しかし、今考えてみると、おかきを食べて修行に出るという、そのことがもうすでに、自分が捨てられなかったのですね。そうしてみると、一応すべてを捨てたつもりだったんですが、結局すてられない、捨てたいという願いだけ残って、あとは全部嘘っぱちです。
これは修行をつづけられてずっと後になってからの大雅窟の偽りのない告白であるが、「結局すてられない」ということに思い至られた。このことが大雅窟ご自身にとって大問題とならなかったわけはない。そういう大雅窟の窮地を救ったのが、森本老師を通してふれることできた浄土教的な見方だった。(大雅窟の『無相の風光』所収の「禅と浄土教」を参照)。このことに関してはまた後でふれることになる。