大雅窟遺風(八)
<照顧脚下>
「照顧脚下」の心構えとは、「己自身の本質に徹底せよ」ということです。自分自身を無にして悟りへの静寂の境地である「禅定」に入らなければ、何をやっても無駄ですよ、もっと自分の本質を見据えなさい、でなければ、悟りなど得られるはずもない、という教えです。つまり、「照顧脚下」の「脚下」とは己自身のことであり、「照顧」とは、徹底しなさい、よく見なさいということなのです。
(『禅が教える「接心」のすすめ』)
長岡禅塾の塾生たちが寝泊まりしている寮舎の上がりがまちに「照顧脚下」の木札が打ち付けてあります。「照顧脚下」(あるいは「脚下照顧」ともいいます)は普通、「履物は揃えて脱ぎましょう」ということだと理解されています。そこからまた、「自分の足もとを見直せ」というようにも解釈されています。
しかし禅ではそういった道徳的な意味ではなく、禅の目的である「己事究明」(自分の本性を徹見すること)の大事を想起させるために「照顧脚下」の札が掲げられているのです。
大雅窟いわく、「下駄を揃えたからといって、それは下駄が揃えられたにすぎず、そこからは何も生まれません。本当に足もとが見えるということは、全体が見えていることで、それはまさに悟りの境位にいることに他なりません」。