生死(しょうじ) その七(令和5年10月7日)
ヒガンバナ(長岡禅塾近辺)
中国宋代に大龍智洪(生没不詳)という禅僧がいました。
この大龍禅師につぎのような問答が残っています。
僧 :「肉体は死んだら亡くなりますが、死んでも亡くならない
永遠不滅の仏の身体(堅固法身)とはどんなものでしょうか」
大瀧:「山の花は開いて錦のようだ。谷川の水は深く満ちて藍のようだ」
山の花・谷川の水の美しい時節は、
人生に喩えてみれば、ちょうど青春の真っ盛りに当たるでしょう。
しかし花はやがて散り、水もいつかは涸れてゆくでしょう。
同じように、青春を謳歌した若者たちもやがて白髪の老人になってゆきます。
この翁 白頭 真に憐れむべし
これ昔 紅顔の美少年
公子 王孫 芳樹の下
清歌 妙舞 落花の前 (劉庭芝「代悲白頭翁」)
(この老人は白髪あたまで、ほんとうに気の毒だ。
だがこの人こそその昔の紅顔の美少年だったのだ。
公卿の若殿ばらとかぐわしい花の咲く木の下で遊び、
散りかかる花びらの前で清らかに歌い、
みごとな舞を楽しんだものだった)。
大瀧禅師はそのように転変する人の世、生死する肉体こそが
僧の求めている絶対的な仏の身体(法身)なのだと説いたのです。
生死する肉身と別に仏身というものがあるのではありません。
このことを道元は「生死は仏の御いのちなり」と説き、
「生死去来真実人体」と表現したのでした。
*漢詩の読み下し文と日本語訳は岩波文庫の『唐詩選』(上)によった。