続・放翁陸游(令和6年6月8日)

 

バイカウツギ(長岡禅塾)

 

陸游にとって最初の結婚は悲劇的であった。

彼は二十歳のころ、母方の姪唐琬(とうえん)と結婚した。

仲むつまじい二人であったが、

この嫁は陸游の母の気に入らず離縁させられた。

数年後、陸游は再婚し、唐琬もまた新しい夫のもとに嫁いだ。

しかし唐琬のことを陸游は終生忘れることができなかった。

 

三十一歳のとき、たまたま沈という人の邸にある庭園に遊んだ陸游は、

同じくそこに遊びに来ていた唐琬と再会した。

その時のことを陸游は詩にしている。

四十年以上経った齢七十五のときのことである。

 

夢は絶たれ 香は消えて 四十年

(夢 断ち切られ 香気は消えて 四十年)

沈園 柳老いて 綿を吹かず

(ここ沈園では 柳も老い 綿毛の花も吹き出さぬ)

此の身は行くゆく稽山の土と作らんも

(やがて 会稽の山の土となる私だが)

猶お遺蹤(いしょう)を弔いて 一たび泫然(げんぜん)たり

(想い出のあとを訪ねれば ふと涙がこみ上げる)

 

また八十一歳のときに作った

「十二月二日夜、夢に沈氏の園亭に遊ぶ 二首」と題した詩には、

こんな言葉も残している。

 

路 城南に近くして 已に行くを怕(おそ)る

(町の南に近づくと もう足が前へ進もうとせぬ)

沈家の園裏 更に情を傷ましむ

(沈家の庭の中に入ると、さらに心が痛むのだった)

 

さらに八十四歳の作に詠う。

 

沈家の園裏 花 錦の如く

(沈家の庭園では いま錦を織りなしたごとくに花が咲いているが)

半ばは是れ当年放翁を識(し)りしならん

(その半ばは この放翁の当時の姿をおぼえているだろう)

也(ま)た信(まこと)なり 美人も終(つい)に土と作(な)ること

(美しい人もついには土と化すのは やはりまことなのだ)

堪えず 幽夢の太(はなは)だ怱怱たるに

(ほのかな夢がたちまち消えて行くのは とても堪えられぬ)

 

陸游のこうした純粋な感情と愛情の持続は、

私たちを驚かせずにはおかない。

幸田露伴は「幽夢」(『幽秘記』所収)と題した小品で、

詩人陸游のそうした深情を巧みに描写している。

 

参考書:一海知義編『陸游詩選』(岩波文庫)

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