アンチ・アンチエイジング(10/25)
最近、”Antiaging”(アンチエイジング)という言葉を
雑誌の広告などで見かけるようになった。
人生百年時代、いわゆる老後の生活が
長くなってきたことと関係しているようだ。
“Antiaging”「老化防止」と、辞書で説明されている。
では、なぜ日本語をつかわずに、わざわざ横文字で表現するのか。
思うに、それは「老」いることが忌み嫌われ、
タブー視されているためではないだろうか。
横文字に変えてみても、「老化」の事実は少しも変わらない。
釈尊は「老」の事実を、「生」「病」「死」とともに不可避と受け止め、
それらから目を逸らそうとすることをひどく恥じられた。
二十歳になる前のことである。
自らの生命(いのち)を大切にするというかぎりにおいて、
わたしは”Antiaging”に非を唱えはしない。
しかし、生命の自然な成り行きに、無理に抗おうとする態度には組しない。
「反対」を意味する英語の“Anti-”に、わたしはそのような過剰を感じる。
アンチ・アンチエイジングをいう所以である。
世阿弥の『風姿花伝』に、
「老骨に残りし花」という言葉が見いだされる。
老いても花は、在る。
けれども老いて花のある人は多くない。
老人の花は、枯れた相貌に端的にあらわれるようだ。
いつも和顔にして、愛語を語る、
そして、満面にやさしく広がる笑みが、ひとを和ませる。
そういう「柔軟心」は、
老人でなければ、咲かせることの難しい花である。
翁の能面(長岡禅塾所蔵)
任運騰騰(にんうん・とうとう)。
宇宙大自然の運行に自らを任せて、
悠然とこの人生を送りたいものである。