一歩退く心の余裕(5/16)
禅塾庭のあやめ①
今回は彼(若い頃の私)の話から始めてみたい。
彼は大学を出て、すぐにある会社に勤めた。
望んで入った会社だったが、
ある人との関係で悩み、4年ほどして、
結局、そこを辞めてしまった。
次は会社ではなかったが、
別のところで、やはりまた、
同じように、人間関係に悩まされることとなった。
そこで彼は考えざるを得なかった ――
自分自身が変わらないかぎり、
どこに行っても同じことだ、
他とうまくやっていけない原因は、
他の人の方にあるのではなく、
自分の方にあるのではないか、と。
禅塾庭のあやめ②
吾れ善きに人の悪しきは無きものを 人の悪しきは吾悪しきなり
自我(エゴ)こそが、心のすべての病の原因である。
だから自我からの脱却が課題となる。
しかし、言うはやすく、行うは難しで、
ついつい自我が顔を出してくる。
われわれは皆ひどい自我という毒に冒されている。
そんなとき、出しゃばろうとする自我に気づき、
「いかんいかん」と我(が)を制御し
「お先にどうぞ」と一歩退く、心の余裕がほしい。
すると、不思議にも、
自我中毒の毒気が消散したかのように、
空いた心の隙間を、
清々しい風が吹き抜けてゆくような気がするから不思議である。
禅塾庭の紫蘭
我という小さき心捨てて見よ 三千世界に障るものなし
時には忍耐の必要な時がある。
仏教では「忍辱(にんにく)」といって、
いろいろの問題に耐え忍ぶことを、
大切な修行の一つに数え上げている。
*「一歩退く」ことに関して。ちなみに禅の世界では、高い意味で「退歩就己(歩を退けて己に就く)」ということを大切にしている。
われわれの気持は外の世界に向かいがちだが、そこから一歩退いて、本来の自己(無相の自己、無我)に帰るよう心掛けよ、というのである。