蝉しぐれ(8/8)
この頃、禅塾の朝は蝉しぐれで始まる。
その声は、隠寮でならす鈴の音をかき消してしまい、
鈴の音を合図に隠寮に入室する参禅者に届かないほどである。
だから、参禅者はよく耳をすまして待機していなければならない。
これは病院の聴力検査よりもよほど難しい!
ところで、蝉しぐれを騒音として聞くか、
それともバックミュージックのようなものとして聞くか、
人によってまちまちだと思うが、
お国柄というものも関係しているようだ。
というのは、ある時、
外国人の入塾生から蝉の声がうるさいと、
思わぬ苦情を聞いたことがあったからである。
われわれ日本人の場合には、
夏の暑さと蝉の声はセットとして体内に組み込まれていて、
あまり抵抗がないように思うのであるが。
というよりも、古来、日本人は蝉の声をも
夏の風物詩のひとつとして楽しんできていて、
蝉しぐれは俳句の夏の季語ともなっている。
代表的なのが芭蕉のあの有名な句である。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
「岩にしみ入る」ほどの蝉の声である。
だから、それは打つように降りそそぐ「しぐれ」のような
蝉の声(蝉しぐれ)でなくてはならない。
しかも芭蕉はその時、
一心に蝉の声に聞き入った情態(三昧)にあって
――「岩にしみ入る」とはそのことでもある――
蝉の声は聞こえていて聞いていない。
その心境を芭蕉は「閑かさ」と言ったのだ。
このように「閑かさや」で始まるその句には禅味がある。
芭蕉は仏頂和尚に参禅したことのある禅経験者であった。
石段の横に立つ句碑(右下)
ちなみに、その句はいわゆる「奥の細道」の旅の道中、
芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)に詣でた時に作られた句である。
立石寺は通称「山寺」と呼ばれ、
急峻な石段を何段も上りつめた所にある。
私は数年前に観光目的で立石寺に立ち寄ったことがあるが、
その石段を上る途中に「閑かさや」の句が詠われた場所であることを示す、
小さな句碑が建てられている。そこは一大岩壁を背景にもつ、
大樹林の間に開けた実に「閑」なる空間であった。
立石寺への急な石段を上る参拝客