良寛の法華讃(11/7)

 

『良寛 法華讃』(竹村牧男著、春秋社刊)

 

今春、『良寛 法華讃』(竹村牧男著、春秋社刊)という本が出版された。

良寛は法華経8巻28品のそれぞれの品(章)に、

自ら偈頌(漢詩)の形で讃を付したものを残している。

『良寛 法華讃』は、それに解説を施したものである。

 

法華経は釈尊が最後の時期に説かれた経とされる、

重要な経典であるが、

道元禅師はそれを「諸経の大王」と言って高く評価した。

 

良寛は禅宗といっても曹洞宗の禅僧であったから、

当然、日本曹洞宗の宗祖道元のことはよく承知していたはずである。

それで宗祖の重んじた法華経の讃に及んだものと想像される。

良寛と道元、これは面白い組み合わせだと思う。

 

良寛の法華讃を通じて発見できたことは、

普通一般に思い描かれているのとは違った

良寛さんがそこに立ち現われてくることである。

 

良寛さんと言えば、

たとえば、子供たちと手毬をつきながら、

無邪気に遊ぶ姿が想像されるが、

法華讃に見られる良寛は、

それとは違った、学識豊かな学僧としての良寛である。

 

禅家として、道元や良寛が重視した法華経の思想とは、

竹村牧男氏によれば、

第一に、「方便品」に見られる「諸法実相」(存在するものはそのまま真実である)の考え。

これは曹洞宗の「本覚」(人間は本来悟った存在である)の立場からすれば、

当然そうした考えを尊重するようになると思われる。

 

第二には、「観世音菩薩普門品」に説かれている菩薩道の考え。

この「普門品」は「観音経」として独立して、

苦しむ庶民の間で昔から好んで唱えられてきた。

禅宗の方でもこれを誦経するが、

それはあくまでも、

主体的に観世音菩薩の道を行ぜんがためである。

 

第三には「常不軽菩薩品」(じょうふぎょうぼさつぼん)である。

この品で法華経は、

「どのように人からののしられ軽んじられようとも、

常に人を軽んじてはならない」と、教える。

 

法華経の行者日蓮は迫害の中にあってこの教えを具現したが、

わたしは「ミンナニデグノボートヨバレ」た(「雨ニモマケズ」)、

法華の熱烈な信奉者・宮澤賢治のことを思い出す。

良寛が貧しい人たちと交わったのも、実は常不行菩薩行の実践だったのである。

 

なお法華経の要諦に関して

臨済宗中興の祖である白隠禅師が説いたものに、

『遠羅天釜(おらてがま)』(巻の下)があり、

他に『延命十句観音経霊験記』がある。

 

それから、法華讃を読むためには

法華経を見ておくことが好ましいが、

現在では岩波文庫で簡単に通読することができる。