「ボーっと生きてんじゃねーよ」(11/21)
コレはNHK番組「チコちゃんに叱られる」でお馴染みの、
チコちゃんの決めぜりふですね。
ご存じだと思いますけど、その番組では、
身近なことなのですが、普段あまり留意していないようなことが
問題として提出されます。
たとえば、次のように(10/25の番組から)
「浦島の玉手箱って何?」
「薬はなんで苦いのか?」
「さんまの内臓はなぜおいしい?」
こんなことを突然問われると、
大抵のひとは答えることができないので、
場当たりなことを言ってしまうわけですが、
それを聞いて、チコちゃんが、
例のセリフで大人たちを喝するわけですね。
そこで愚僧は思うのです。
もっともっと身近で、
しかしまったく見過ごされている問題があるんじゃないですか、と。
それは自分の生と死の根源についてです。
わたしたちは毎日、いやこの瞬間も生きています、
そして、やがて死んで行きます。
けれどもその生はどこから来るのでしょうか、
また、死んでどこへ行くのでしょうか。
弘法大師空海は、
そのことについて私たちが無知であることに対して、
「生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」
と叱責されています。
さぁ、そこで、チコちゃんの出番です。
「ぼーっと生きてんじゃねーよ」
ここのところを禅語に翻訳しますと、つぎのようになります。
生死事大(しょうじ じだい)
生死の問題ほど重大な問題はありません。
光陰可惜(こういん おしむべし)
この問題の解決のために一瞬たりとも無駄にしてはなりません。
無常迅速(むじょう じんそく)
ぼやぼやしていると時間はあっという間に過ぎてしまいますよ。
時不待人(とき ひとをまたず)
時は人を待ってはくれません。
「ぼーっと」している間に、
根本のところが何もわからず墓場まで来てしまった、
と言うようなことは避けたいものです。
*空海の言葉は、「私たちは生れては死に、また生まれては死ぬ」という
輪廻の思想を前提としていますが、そのことが信じにくくなっている現代では、
それを瞬間瞬間のこととして考えてみればよいでしょう。
厳密に考えれば、瞬間瞬間のうちに私たちの生と死は繰り返されているのですから。
(「大雲好日日記 7」を参照)