めでたさも中くらいなりおらが春(令和3年1月13日)

 

隠寮書院・床の間(長岡禅塾)

 

めでたさも中くらいなりおらが春

 

これは小林一茶(1763-1827)の句日記「おらが春」の冒頭に出てくる句である。

この句日記は文政二年正月一日に始まり、同じ年の十二月二十九日で終っている。

西暦に直すと、1819年一年間の句日記ということになる。一茶はこの年、満56歳である。上の句は正月一日の日付をもっている。

 

他方で一茶は47歳の初春につぎの句を残している。

 

我春も上々吉ぞ梅の花(「我春集」)

 

『おらが春・我春集』(岩波文庫)の校訂者荻原井泉水は、ほぼ10年間の一茶における「上々吉」から「中くらい」への気持の変化に注目している(「校訂小語」)。

その変化には一茶の生活環境の変化が見逃せないように思われるので、そのあたりを少し見ておきたい。

 

一茶は信州の農家の長男として生まれた。2歳の時に実母くにの死に遭い、やがて追われるようにして故郷を出て江戸に赴いている。14歳の時である。

それからというものは俳諧修行と俳諧行脚を繰り返しながら、その日暮らしの苦しい生活を強いられていたようだ。

 

その一方で、父弥五兵衛が一茶38歳の時に死去し、それ以降、継母子との間で遺産相続をめぐる問題が生じていた。(そのあたりのドロドロした修羅さながらの有様は、藤沢周平の小説『一茶』によく描かれている)。

 

その問題が1808年(一茶45歳)にやっと両者折半の形で決着したのだった。

「上々吉」の気持には、積年の問題が「上々」のうちに解決されたという安堵感が反映されているであろう。

 

次に56歳の「中くらい」の気持の周辺を探ってみよう。

その句の前書きに、「から風の吹けばとぶ屑家は、くづ家のあるべきやうに、門松立てず、煤はかず、雪の山路の曲がり形(な)りに、ことしの春もあなた任せになんむかえへける」、とある。(太黒字は筆者、以下同)

 

遺産相続問題が解決した後、49歳の時に一茶は信州に戻っている。しかし、ボロ家の雪深いところでの貧しい生活である。けれども、すべて「あなた任せ」で無事に正月が迎えられたのは、有難いことであるわい、といったところだろうか。

 

一茶の故郷信州の冬の雪深さをうたった次の句はよく知られている。

 

これがまあつひの棲(すみか)か雪五尺

 

ところで、56歳のその初春句「めでたさも・・・」の句の後に、

「こぞの五月生れたる娘に/一人前の雑煮膳を居(据)へて」、

と前書きして、次の句が配されている。

 

這へ笑へ二ツになるぞけさからは

 

暮らしぶりから言えば正月が来たからといって特段かわったこともないのだけれども、

故郷信州に帰って居を構え、結婚もして(51歳、)長女さとももうけた(55歳)。

上の句は前年に生まれたその長女の成長ぶりを目をほそめながら眺めている一茶の姿を彷彿させる。一茶にとってはやっとめぐってきた家族団らんのひと時であった。

 

そうした生活を自ら「中くらい」と評価した一茶の気持の底には、

さらにその句の前書きの中に見出されるような「あなた任せ」の気分が背景に存していたのではないか、と私は推測するのである。

 

「あなた任せ」という言葉は、前書きが書かれたのと同じ年の暮れ、十二月二十九日の句日記にもう一度でてくる。

 

その個所で一茶は、浄土真宗の自力他力の教えについて自らの考えを述べ、

その中で、「さて後生の一大事は、其身を如来の御前に投出して、地獄なりとも、極楽なりともあなたさまの御はからひ次第あそばされくださりませと、お頼み申すばかりなり」、と記して、次の句が掲げている。

 

ともかくもあなた任せのとしのくれ

 

私は類句として、晩年に浄土真宗の尼僧になって信心決定した加賀の千代女の句、

ともかくも 風にまかせて かれ尾花

を思いだす。(「大雲好日日記107」参照)。

 

このことは別にして、「あなた任せ」という言葉についてであるが、それは本来、一切を阿弥陀仏にお任せするということである。

実は一茶の父は浄土真宗の信心をもった人で、一茶は幼いころからそういう父親のもとで過ごしている。

そんなことから一茶にも真宗に対する信仰心があったようだ。一茶の「あなた任せ」はそういうところから出ているのである。

 

そういうわけで一茶の「中くらい」の気分の背後に、それを根底から支えるものとして、阿弥陀仏に任せきった絶対的な安心感のようなものが想定できないか、と私は考えるのである。

 

しかし、俳人で真宗の僧侶でもあった大峯顕は、一茶の浄土真宗へのかかわりに関して、「一茶は、その晩年にいたって、浄土真宗の信心に一方ならぬ関心をもっていたことはわかるが、それを本当に生きていたとはおもわない」と厳しい批判を提出している。そういう評価のあることも一応ここに付けくわえておくことにする。(大峯顕「一茶 ――煩悩の美しき花」『浄土仏教の思想』十三、講談社、1992.)