女人成仏

 

サツキ(長岡禅塾)

 

〇森本老師に仏教学専攻の女子学生、

「仏典に、女人は罪業深くして、成仏できん、とあるが本当か」と真剣な表情。

 

「カンカンに怒っている、その怒りの当体、女でっか、男でっか」。

「そんなもん、女でも、男でもありません」。

「それ、女でも男でもなかったら、どこにも罪などありまへん。それで罪業消滅や」。

 

 (『森本省念老師』下)

 

 

〇盤珪禅師に女人問う、

 

「女は業ふかき者にて、成仏は難しと承る。左様にて候か」。

「汝、何れの時より女人になりたるや」。

 

「男じゃ女じゃとは、一念生じた跡の名でござる。

生ぜぬ以前、不生の場には、男女の相もござらぬ」。

 

「形に男女の変りはござれども、仏心には毛頭、変りはござらぬ」。

 

 (以上『盤珪禅師法語集』)

 

*ある宗教学者(女性)から「禅塾は女人禁制ですか」と問われて驚いたことがあった。なぜかと言えば、その質問に何か時代錯誤的な響きを私は感じたからである。(もちろん、禅塾は女人禁制ではありません!)。しかし別の見方をすれば、それほど女人蔑視の考えが隠然として現代社会の中に浸透しているということであろう。

このような差別的な考え方に対して、絶対無差別平等の立場にたつ大乗仏教では、男性も女性もその根本において全く平等である(仏教的男女平等論)。

*かつて献本していただいた本を思い出したので少し専門的ではあるが挙げておきたい。西口順子編『仏と女』(吉川弘文堂、1997)。