「私」に還れる場所 

~12年ぶりに長岡禅塾の接心に参加して~

横山聖治

 

卒塾した時、私は長岡禅塾を「本物に出会える場所」と表現した。

それから社会に出て12年、久しぶりに禅塾に帰り臘八大接心に参加した今、

私は長岡禅塾を「私に還れる場所」であると表現したい。

 

学生時代、私は自分の存在や人生の針路に悩んでいる中で長岡禅塾の門をたたいた。

禅塾はありのままの私を受け入れてくれ、私の存在の何たるかに気づかせてくれ、

あるがままの日常を精いっぱい生きることの大切さを教えてくれた。

理屈を超えた説得力が本物にはあるが、

長岡禅塾はまさにその「本物」に出会わせてくれた場所であった。

 

あれから12年、社会に出て酸いも甘いも噛み分け、達成感や挫折も経験し、

様々なものを身に纏った上で、再び長岡禅塾の門をくぐった。

禅塾は昔と全く変わらないそのままの姿で私を迎えてくれた。

 

禅塾に帰ってきて改めて感じたことは、ここには無駄なものは一切ないこと、

そして私が今まで身につけてきた一切のものが削ぎ落とされていくという感覚であった。

学歴や業績、肩書や体面など自分が今まで積み重ね背負ってきたものが剥がれ落ち、

雑多な考えや思いが整理されていくという感覚、

そしてその中から本来の私が立ち現れてくるという感覚である。

坐禅や作務を通してはもちろん、禅塾の空間にいるだけで

そのようになっていくということを体感した。

これはおそらく、掃き清められた庭や整理された部屋の佇まい、

一切の妥協を許さない清澄な空気感が、

禅塾をそのような空間に創り上げているのだと思われる。

 

風の音や虫の声、中庭から見る月や星の輝き、部屋に満ちる御香の香り、

禅堂の寒さや廊下の冷たさ、そして健康的な食事。

ここにいるだけで五感が研ぎ澄まされ、忘れていたものが蘇り、見失ったものが見えてくる。

本来の私に還る機会、そして人生を新しく出発できる機会を与えてくれたのが、

この長岡禅塾の接心であった。

 

大学生はもちろん、社会人の方や久しぶりの卒塾生に対しても、

長岡禅塾はいつでもありのままで迎えてくれる。

私の人生に長岡禅塾があってよかったと思う。

 

横山聖治さんのご紹介

群馬県出身、同志社大学に進学 

その間(2009~2012年)に長岡禅塾に在塾

大学卒業後、海上自衛隊に勤務

現在、3等海佐(昔の少佐)

 

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