渋沢栄一と論語(令和3年4月28日)

 

つつじ(長岡禅塾)

 

今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、

「日本資本主義の父」「実業家の父」とも評される

渋沢栄一(1840-1931、天保11-昭和6年)が主人公である。

 

タイトルの「青天を衝け」は、

渋沢の若き頃の漢詩「内山峡之詩」中の一節

「勢衝青天(勢い青天を衝く)から採られているようだ。

 

その詩で栄一は、

内山峡(長野県佐久市)の

奇岩怪石が天を衝くような、その勢いのすさまじさと、

その急な斜面を全身で登って行った様子を詠っている。

 

そこに私たちは、

栄一の、どのような困難に直面しても、

それを乗り越えてやろうとする、

強い意志を感じることができるであろう。

 

渋沢の生涯は1867年パリで開かれた万国博覧会に

徳川昭武(慶喜の弟、当時民部大輔)に随行して以後、

大きく変っていった。

 

彼はその折に、ヨーロッパ各国を見聞してまわり、

資本主義という経済システムが

それらの国々の繁栄の基礎となっていることを学んだのであった。

 

帰国後、渋沢は大蔵省の役人を辞して、

国を富ませるために実業界入りを決意する。

75年に第一国立銀行になったのを足掛かりにして、

次々に国の礎となるような企業を起こしていった。

その数、約470社といわれる。

 

その際に、座右の書となったのが『論語』であった。

渋沢に『論語と算盤』と題された書がある。

表題中の「算盤」は「経済」とか「欲望」を、

「論語」は「道義」とか「道徳」を代表している。

 

渋沢は言う、

道義なくして経済の継続的繁栄はなく、

経済を無視した道徳はその生気を失う。

だから「経済と道徳は調和しなければならない」と。

 

このことを渋沢は『論語』を引いて次のように論証する。

子の曰く、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。

其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。(「里仁」篇)

 

(訳)先生がいわれた、富と貴い身分とはだれでもほしがるものだ。

しかしそれ相当の方法(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければ、

そこに安住しない。(金谷治訳)

 

渋沢によれば孔子のこの言葉は富や地位を決して軽視したものではない。

むしろ人間の富貴への欲望を積極的に認めようとしている。

ただ道理を踏まないそれらへの執着を諫めているにすぎない。

つまり富貴と道徳の一致が重要だというのである。

 

孔子はまたこうも述べている。

不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し(「述而」篇)

(訳)道ならぬことで金持ちになり身分が高くなるのは

わたくしにとって浮き雲のよう[に、はかなく無縁なもの]だ。(金谷治訳)

 

ここでも富貴は否定されてはいない。

ただ「不義(道義にもとること)」によることが否定されているのである。

このように道義と経済との調和が『論語』には説かれている、

と渋沢は考えるのである。

 

『論語』に見いだされるような、こうした中国的、現実的な考え方は

また中国文化を経由した禅の行き方でもある。

禅は渋沢のいう「論語と算盤」「道理と経済」の調和についてこう言う。

君子は財を愛す、これを取るに道をもってする。

 

*参考文献:守屋淳訳『現代語訳 論語と算盤』(筑摩書房、2018.)。